音信普通

音信普通 ④

 

続・ながさき音楽便り④

音 信 普 通

節電が叫ばれた今年の夏。7月はとにかく暑い日が続き、8月になったらよく雨が降り、8月の終わりから急にまた暑い日が続いている。耐震対策で、職場である大学の音楽棟の改修工事が始まった。それに伴い、仮住まいへの引っ越しが、一番暑い時にあった。それにしても、楽譜や書籍は重かった。レコード時代からCDに、また音楽映像もレーザーディスクからDVDになり、音響の世界もずいぶんと様変わりをした。

大学というところは面白いところで、多分誰も聴かないだろうと思う、ベートーヴェン全集の古いレコードの束が出てきたり、当時は「名器」と謳われクラシック喫茶などに良くあった大型スピーカーが埃をかぶって教室の隅にころがっている。歴史は、積み重なるものなのか、降り積もるものなのか、この夏は大騒動だった。

 

「今年のテーマは風」

東日本の大震災があって間もない3月の終わりに、北海道での仕事があり信州まつもと空港から札幌まで、飛行機で飛んだ。上空からおそるおそる下を眺めたが、航路は日本海側で、空からは災害を受けた海岸線は見えなかった。札幌に着くと、市内にはまだ雪が残っていたが、それでも浅い春の気配が、少しだけ感じられた。翌日の仕事場所であるキタラホールの下見を兼ね、中島公園に出かけ、園内にある文学館に立ち寄った。有島武郎の作品等も展示してあって、興味深かったが、私が一番感動したのは、北海道に生きた、風の詩人、土の詩人のコーナーだった。前回の演奏会が終わってから第4回目の唄音コンサートのテーマがなかなか思いつかず、ずっと悩んでいる時だった。北海道の詩人のコーナーを見たその時、唄音はこれだ、と思った。

風が伝えた長崎の音楽文化、風と共に歌い継がれた長崎のメロディー、そして、長崎の郷土が育てた民謡、わらべ歌。今年と来年は、風と土で行こうと思った。私たちの唄音コンサート活動は、やがて長崎の風土となる。時代の流れや、自然災害にも負けず、しっかりと大地に根を下ろした、そんな唄音になったらと、文学館の窓から見える雪の中の白樺を眺めながら、そう思った。

早速、制作委員の皆様と協議を重ね、今年は「風」、来年は土を表す「郷(さと)」にテーマを決めた。そのあとは、皆さんから次々とアイディアが浮かびあがり、歌謡曲はブルース対決、島の唄は五島さのさや長崎浜節、大村と長崎の市民ミュージカルの皆さんにも出演していただくことになった。更に、ずっと話題になっていたが取りあげられなかったオラショを、今年は、アカペラコーラスで、合唱曲として披露。バタフライのメロディーは、ヴァイオリンとチェロが奏で、それに舞踊が加わる。高島の子どもたちを招き、「この島はいいよね」を一緒に歌う。長崎旅博覧会のテーマ曲、「私ここにいます」も取りあげる。長崎出身のバス・バリトン歌手峰茂樹さんの、「長崎物語」や「長崎は今日も雨だった」もある。もりだくさんになった。九月の風と共に、今年も唄音の季節が、やってきた。皆さんと、懐かしくて優しい時間を過ごせたらと願う。

2011年9月9日

長崎県音楽連盟運営委員長

堀内 伊吹

 

【2011/09/10】

「続音信普通②」アップしました。

続・音信普通②

 

知らない街でこざっぱりとしたホテルの小さな窓らか、ぼんやりと外の景色を眺めていると、自分がだんだんとその街にとけ込んでいくような気がする。ずっと前にヨーロッパを旅行していた時、特に理由はなかったが、インスブルックに立ち寄ったことがある。インフォメーションで紹介された白を基調としたシンプルなホテル、すっきりとした街並み、日曜日には完全に閉まってしまうマーケット。これらは、その旅には欠かせない気がした。予定を変更して何泊かそのホテルに留まり、だんだん行動範囲を広げていった。地図無しで、路面電車に乗り降りできるようになった頃、街の空気を肌で感じた。

昨年は偶然だが、中国と韓国に少し長めに滞在する機会があった。北京、長春、鞍山市、そして、ソウル。コンサートに招聘されたり、コンクールの審査をしたり、バタフライの海外公演のお手伝いをさせていただいた。同じホテルに1週間滞在すると、いくつもの出会いがあり、想い出深い経験をした。

「昴が流れるアトリエ」

そのひとつ。昨年6月の初旬、中国遼寧省にある鞍山師範学院を訪問した。中国でもかなり北に位置する遼寧省は、南には北朝鮮との国境があり、さらに北に進めば、ハルピン。冬はマイナス20度以上になるという北の街だが、私が訪れた季節は、花が咲き、心地よい大陸の風が吹いていた。

数年前、教育学部の大学院に留学していた于广壮君が、この学院のピアノ科主任になり、コンサートとマスタークラスのレッスンに私を招聘してくれた。到着すると、ちょっと広めの主任用オフィスのデスクに座り彼は、「先生、来てくれてとてもありがとう。でも、予定していた新しい音楽ホールの椅子が、まだ入っていないですよ。違う会場になるけど、大丈夫ですよ」。案内されたのは、大学キャンパス内にある美術館。そこの館長でもある、王登科教授の協力を得て、急遽グランドピアノが運びこまれ、美術館は特設ホールになった。仮設ステージは、フォルテでピアノを弾くとぐらつき、演奏中に船酔いになるのではないかと、私は心配したが、于君は一言、大丈夫ですよ。

会場を包み込むように、王教授の作品がずらりと展示さる中で、なんとか演奏会は無事に終了した。書家としても有名な王先生の作品は、人物を描いたものが多く、掛け軸に描かれた子どもたちは、のどかで優しい表情をしていた。

演奏会終了後、アトリエでお茶をいただきながら、お話を伺った。京都に1年間留学をされた王教授は、日本語もお上手で、アトリエには、谷村新司の昴が繰り返し流れていた。日本が大好きだという王教授は、その夜私たちを夕食会に招いてくれた。お酒を酌み交わし話が進むと、ギターを片手に、まるで京都にある大きな寺の住職のような深い響きのある声で、懐かしそうに昴を歌ってくれた。弾き語りは、中国の曲からエーデルワイスまで飛び出し、歌があふれる何とも素敵な夜だった。この3月に、王先生と于君を長崎に迎え、演奏会を企画している。そして、会場には、王先生の中国画をぐるりと張り巡らそうと思っている。

2011126

長崎県音楽連盟運営委員長

堀内 伊吹

【2011/02/07】
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