長崎県音楽連盟/トップページマダム・バタフライコンサート > 「マダム・バタフライコンサート」ニュース
マダムバタフライフェスティバル・親子コンサート更新情報

私たちの第九:連続エッセー④

 

 多くの出来事があり、それらが何であったのか、どのようにこの1年が過ぎて行ったのか、振り返ることも、理解すること、落ち着いて考えることもできないまま、1年が終わろうとしています。このところの長崎でのコロナ感染拡大の状況を受け、ながさきUTAOTO委員会の調委員長、副委員長である河野音楽連盟理事長、それに事務局の私とで協議をした結果、今回のフェスティバル、オープニングの第九は、断念するしかないだろうとの結論に達しました。ご高齢の方も多い市民合唱団が、練習も含め大勢集まるのは、やはり感染リスクが高いだろうとの判断からです。今年の3月のフェスティバルの市民第九に続き、残念な結果になりました。

 

 ベートーヴェンイヤーだった今年、多くの演奏会が企画され、多くの演奏会がキャンセル、延期になりました。そんな中で、先日からテレビで喜びの歌のメロディーが、サントリーのCMで流れています。シンガーソングライターの幾多りらさんが、希望は生まれる、どんな時にも、というメッセージとともに、歌い上げています。
 「2020年は、どんな年だったでしょうか。不安が生まれた年。悲しみが広がった年。そう言われるのかもしれません。けれど、そんな中に芽吹いていた希望もたくさんあります~」
 さすがサントリーと思わせる、年末に相応しい映像メッセージです。

 

 

 前々回ご紹介した、「ベートーヴェンと日本人」(浦久俊彦著、新潮新書)によると、日本人演奏家により第九が初演されたのは、大正13年(1924)1月で、なんとその場所は、東京でも大阪でもなく、九州だったそうです。九州帝国大学フィルハーモニー会によって、第4楽章が演奏されました。その後全楽章は、その年の11月、東京音楽学校の奏楽堂で全楽章が演奏。音楽学校の教授、学生総動員だったそうですが、管楽器が足りなく、海軍軍楽隊も参加したとのこと。およそ100年前の話ですが、どこか遠い昔の話のような気がします。同書には、その少し前の、徳島でのドイツ人捕虜たちによる第九、出陣学徒の第九、そしてその追悼の第九の話も紹介されていて、あらためて、私たち日本人と第九は、特別な関係があるのかもしれないと、思っています。
 りらさんが歌い上げるように、「決してなくなることのない、人と人のつながりや、よろこび、そして希望。」
 希望は生まれる、おそらくどんな時にも。それはベートーヴェンが私たちに残したメッセージそのものかもしれません。

 

(UTAOTO委員会 堀内伊吹)

【2020/12/25】
このページのTOPへ