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マダムバタフライフェスティバル・親子コンサート更新情報

マダム・バタフライ・フェスティバル2020 連載エッセー 長崎と蝶々さん⑤

長崎と蝶々さん「川上貞奴と越後獅子」


  トスカの次となるオペラの題材を求めていたプッチーニは、1900年の初夏、ロンドンでベラスコの戯曲『蝶々夫人 日本の悲劇』に出会います。当時ヨーロッパでは、東洋とりわけ日本への関心が高まっていた時期で、ジャポニズムブームでした。その年開かれたパリ万博では、日本文化が多くの芸術家に影響を与えました。当時60歳だったロダン、38歳のドビュッシー、19歳の若きピカソもその一人です。そして、プッチーニ。

  彼は、オペラの舞台となる日本についての情報を、集め始めました。1902年3月、イタリアで公演をして人気を集めていた、川上音二郎一座の貞奴の舞台をローマまで観に出かけます。しかし、この時はすでに一座は、ローマを旅立って他の公演地に。何とか自分の目と耳で、貞奴の「あの特殊な高い、さえずるような調子」を確かめたいと思ったプッチーニは、同年4月、ミラノ公演の初日に駆けつけます。通訳の問題もあったのでしょう。プッチーニが貞奴と直接会話したという記録は残っていませんが、公演で演奏された「越後獅子」に強い影響を受けたようです。家に戻ってから4日間で書き上げた、蝶々夫人が登場するシーンの楽曲に、この越後獅子のメロディーを取り込んだ、といわれています。
https://www.youtube.com/watch?v=N97vUt-_jL8

  蝶々夫人には、たくさんの日本のメロディーが登場します。どんな曲が使われているのかを見つけながらこのオペラを鑑賞するのも、楽しみ方の一つかもしれません。

(UTAOTO委員会 堀内伊吹)

【2020/01/29】
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